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スタッフ日誌

楽笑庵スタッフの愉快な仲間達☆『スタッフ日誌』 仕事のことからプライベートまで!? 一人ひとりの人間模様をお届けします♫

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アンサーブログ (全米が泣いた!超大作!)

どうも~ケママネの更新研修が始まった海道です~

ところで6月9日付の所長日誌(思ひでポロポロ)読んでいただけましたか

今回は、そのブログに対抗して、アンサー的に書かせてもらいました。

まずは、6月9日の所長日誌を読んでいただき、そのあとに今回のブログを読んでいただけると幸いです。



私・海道と、所長・片山の運命の出会い、再会、

そして伝説へ・・・

かなりの長文です!

読むのに時間を要しますが、それでも読みたいという方はどうぞ↓↓↓







今から15年ほど前のことである。


大学を卒業して1年間、徳島で介護士として働いた私は満を持して、故郷・淡路島に帰ってきた。


島内の某老人福祉施設の生活相談員として転勤になったのだ。


数年ぶりに再会した地元の友人。


中学卒業以来に出会う懐かしい同級生。


久しぶりの旧友との再会に会話もはずんだ。


会う友人のほとんどが福祉関係以外の仕事をしていた。


彼らにとっては、福祉業界というものは未知の世界であり


「年寄りの世話やこと大変ちゃうけ?」


「給料ええのか?」「夜勤しんどないけ?」


など根掘り葉掘り、よく質問されたのを覚えている。


そんな初歩的な質問が一段落したあとに次の言葉をよく耳にした。





片山大樹って覚えとるけ?あの子も介護の仕事しよるで!」




こう言ってくる友人のすべてが「意外やろ?」という含みを持たせていた。


【中学時代、ヤンチャだったあの男が、今は介護をしているというギャップ】


それを伝えることで、私を驚かそうとしているようであった。


そう、私の周囲の人間ほとんどが、片山大樹という男が介護の仕事に就いているという事実

に違和感を抱いていたのだ。




しかしながら、不思議と私には、そんな違和感はなかった。


彼ならありうる。なるほどな。そういう感覚であった。






片山大樹とは中学1年の時に知り合った。


席順も前後で、同じ野球部。通学路も途中まで同じであった。


確かに彼はヤンチャだった。そして、悪くいえばイキっていた。


かっこつけだった。顔もよく、そこそこモテた。


当時の五色中学はやや荒れていた。ビーバップハイスクールが流行り悪い奴らもそこそこいた。


私は小心者だったので、当然不良グループとは相反するイケてないグループだった。


彼は、どちらかといえば不良グループ寄り。


ビーバップのトオルに崇拝し、自分のことを一時「ダオル」と言っていた。


ここまでだと、私の旧友が、片山大樹=介護士という

図式に違和感を抱くのも当然だろう。


旧友たちは彼の本質を見抜いていないからだ。


当時の不良と片山大樹は、外見上は似て非なるもの程度であったが


内面的な部分で不良のそれとは絶対的に異なることがあった。


それを、当時から私は見抜いていた。


だからこそ、片山大樹=介護士という事実も、素直に受け入れることができたのだ。




『当時の不良と片山大樹の絶対的な違い』




そう、彼は弱者に優しかった。


決して弱い者いじめはしなかった。


むしろ弱者に対して、自ら進んで手を差し伸べる男だったのである。




私は野球部で万年補欠だった。


彼はレギュラーで名ショートだった。


練習終了後、グラウンドを部員全員で整備する。


トンボという整備用具を使ってグラウンドを整備するのであるが、その作業が終わってから2名

だけ、大きなグランドハケでグルグル回って仕上げをしなくてはいけない。


そのハケは野球練習場から、かなり離れたテニスコートにあり、しかも重い。


最後の仕上げであるので、当然帰りが一番遅くなる。


誰もが一番やりたくない担当である。


暗黙の了解として、当然万年補欠で一番下手なお前(私)が担当しろよという空気が流れる。


私もその空気を察していたので、当たり前のように自らすすんで練習が終われば一目散に

ハケを取りにいくことにしていた。


先ほど、ハケの作業は2名と書いたが、ハケが2本あるからというだけであり

実際には、1名でもやろうと思えばできる。


当時の空気的には万年補欠の私だけがすればいい感じではあった。


ところが、彼はレギュラーという地位があるにもかかわらず、毎日つきあってくれた。


下校の音楽ということで、オフコースの「さよなら」が流れるなか、二人で並んで一番遅くまで整地をした。


他の部員は早々と帰路にむかっている。


私は、「別に俺一人でもできるから一緒にせんでもええで」みたいなニュアンスのことを言ったことがある。


そのときの彼の返答がまた素晴らしかった。



「俺、この歌好きやし、聞きたいからええねん」



今考えれば、私に気を使わせない男前すぎる回答である。


このエピソードだけでも、彼の弱者への優しさが滲み出ている。


キャッチボールのペアもすすんでなってくれた。


それは、私がへたくそで暴投ばっかりして、相手に睨まれているのを見かねて、なってくれたのだ。


彼は、私が暴投を投げても、睨むことなく笑いながらボールをとりに走って行った。


海水浴などにも、よく誘ってくれたし、家にも遊びに来いと誘ってくれた。


彼の家には当時、目が不自由でかつ難聴なおばあちゃんがいた。


彼が、そのおばあちゃんに優しく声かけしていたのを一度だけ聞いたことがある。


そのたった一度の場面を今でも鮮明に覚えているのは、その優しさに感心した自分がいたからに他ならない。





そんな彼が「楽笑庵」という事業所を立ち上げたという噂を、今から7年ほど前に聞いた。


当時は、「小規模多機能」という言葉は、まだまだ世間的にも浸透しておらず

私も全くの無知であった。


だから、私が初めてその噂を聞いたときの印象は次のとおりだ!




「え?なに?デイサービス?ヘルパーステーション?グループホーム?
 何始めたって? おいおい・・・・大丈夫なんかいな?」






誤解してほしくないのは、「大丈夫か?」と心配したのは、彼が頼りないからという意味では毛頭ない。


もちろん、彼には、介護に対するアツい思いと、人を惹きつける魅力があることは、百も承知であったので

当然、利用者から信頼される素晴らしい事業所となりうるであろうと確信していた。


しかしながら、当時の私は、バックに病院(医療面の充実)がないと、利用者が集まらず

厳しいという持論があった。


すなわち、利用者が獲得できるのか?


赤字だらけで経営できないのでは?


という危惧があり、「大丈夫か?」という気持ちになったのだ。



しかしながら、その心配をよそに、彼は素晴らしき経営手腕と人望の厚さで、

みるみる成長し、地域になくてはならない事業所にまでのぼりつめたのである。


「小規模多機能」という未知なる領域で勝負した彼。


今や在宅福祉の理想形ともいわれ、島内のほとんどの大きな法人が手を出している。


彼の先見の明に、つくづく感心しはじめたのは、恥ずかしながら最近のこと(2年ほど前)である。


それに気づいて以来、周囲の人間に片山大樹という男について尋ねられたとき、こう答えるようにしていた。




「彼は福祉界の10年先を見ていた。そして時代がようやく彼に追いついてきた」と。





彼が、楽笑庵で輝いている頃、私は某病院で働いていた。


病院で働き始めて、まもなく10年を迎えようとしていた頃、私の感情にある変化が生じてきた。


長い間、この福祉業界で働いてきて、色々な経験から、もはや私の居場所は病院ではない

ということに気づき始めてきた。


やりたい介護・支援というものは、別の場所にあると・・・


そんな時、妻が小規模多機能施設で働きはじめたこともあり、日に日にその魅力に惹かれている自分がいた。


そして、先述のとおり、片山大樹という男の先見の明に感心しはじめたのである。



病院では介護主任という役職を任され、それなりにやりがいもあったが、しっかりしないといけないという

重圧感、上司と衝突することも多く、心が病んでしまうこともあった。


それでも、仕事とは、こんなことの繰り返し、どこにいっても一緒、という思いから耐えてきた。


福祉の資格を3つも獲得したのに、本当に病院で看護補助のままでいいのか、葛藤が激しかった。


やりたい仕事でないかもしれないが、嫌いではない仕事で、それなりの給料を頂いているから、贅沢いうな、

我慢、我慢、と自分に言い聞かせ10年続けてきた。





しかしながら、そんな張りつめていた糸のようなものが切れた。




片山大樹との再会だった。




「楽笑庵にきてくれへんか?」




彼は、私の葛藤を見抜いていたかのように直球で誘ってきた。


彼の船に乗ると決めるのに、そう時間はかからなかった。





さあ、いこう!


夢の島への航海が始まった!




もう後戻りはできない。



いや、するつもりもない。






彼は尊敬したくないが、尊敬せざるをえない。



彼は夢の話をいっぱいしてくれた。



その夢のほとんどが、私のそれと同じであった。





もう前しか見えない!



最高の船に乗った!





私が楽笑庵に来てするべきことはただ一つ。




彼が10年先を歩いていたことを世間に証明する。




現在の在宅介護の理想形が、ここにあることを証明する。





さあ、いこう!





伝説のはじまりだ。






長文読んでいただきありがとうございました!







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